あたらしい

こんばんは。

 

今日から社会人2年目がスタートした。といっても相変わらず在宅勤務だし、仕事内容も変わらないので節目感はまるでない。でも、出社している上司が、オフィスで作業している新入社員の様子をカメラ越しに見せてくれて、ちょっとだけ後輩ができたことを実感した。

新卒1年目が終わることは、免罪符がなくなったようで不安にもなるが、レベルアップの音が聞こえたようで心強くも感じる。そういえば大学の1年目が終わるときも同じような気持ちになったことを思い出した。

 

今までここの記事は敬体で書いていたが、今日から急に常体にしてみた。文章を書くにおいてはかなり大きな変化なので、急にそこをブラすのはどうなのよ、と自分でも思うが、絶対的なこだわりでもなかったので良しとした。

そもそもどうして敬体で書いていたかというと、無意識的に始めたことだったが、恐らく読んでくれる人を意識してだったのかもしれない。読書感想文の宿題だったり、レポートだったり、卒業生へのメッセージだったり、求められて書いた文章を誰かに読んでもらうことはあっても、ブログのように自発的に自分の書いたものを公開することはあまりしてこなかった。それなので、そういった自分から発信したものを読んでくれた人への敬意として敬体を使っていた、気がする。

そう言うと「今読んでくれている人に対しては敬意がなくなったのか!」と、けしからんおじさんが登場してしまうかもしれないが、もちろんそんなわけはなく、嬉しくありがたく思っている。しかし、自分が何か文章を読むときに、常体でも敬体でも敬意の感じ方(そもそもそんなものを意識したことは殆どないが)は変わらないなと思い、常体にしてみた。

すると今度は「じゃあ別に敬体のままでも良かったんじゃないの?」と、純粋疑問ガールが登場しそうだが、今回の変更は今後のために必要だった。なぜなら、敬体では語尾に振り回されるストレスを感じたのである。

「〜を観ました。そして〜と感じました。」と書くと、語尾が両方「ました」になってしまって、個人的には違和感を感じる。じゃあこっちの語尾をこうして、あっちをああして...なんてことを敬体の文章で書くときには考えることが多い。だが、「〜を観た。そして〜と感じた。」と書くと、美しいとは思わないが違和感が減る。やってることは敬体と同じなのだが、重なっている文字数のせいか、品詞分類のせいか、何だか理由は分からないが語尾を意識せずに書きやすい。わたしは文学部だったが、文章に関することを専門にしていなかったので、専門家から見たら暴論なのかもしれないが、ここはわたしの国なので暴君の意見が採用されたのである。

まあつまるところ、書くことへの手間を減らすためといった感じだろうか。

 

そんなこんなで書き方を変えてみたよ、ということが今日のメイン話題になってしまいそうだ。暫くブログから離れていたのでまだこれはリハビリということで。

前の記事にも書いたが、2021年度の目標は「自分のことを話す」なので、これからもっと色々なことを発信していきたい所存である。

なんだか図らずも新年度の決意表明のようになってしまったが、そうなってしまったことを逆手に取って、本当の決意表明としよう。

 

毎回終わらせ方に悩むので、今日は新しく覚えた言葉を書きたいと思う。

 

「春霖(しゅんりん)」

ー 春、3月から4月にかけて降る長雨。なたねづゆ。

 

 

ではまた。