無題にしようと思う
やあ、みんな。もう2月だね(中旬)。
今日はちょっと重い話かもしれません。最近すごく悲しいこととか辛いことがあった人は読まない方がいいかもしれないです。わかんないけど。
と、いうことなので、まだ本題が見えないように3文字しりとりをしておこうと思います。
りんご
ゴリラ
ラッパ
パンツ (← もうここまで定型だよね?)
つみき
きつね
ね...?
「ね」なんてなくない...?
ねずみ (全然あった)
みみず
ず...?
今度こそなくない....?
ずこう (天才)
うなぎ
ぎたい
いくら
らすく
くるみ
みかん
もう大丈夫だと思って終わらせましたが、iPhone7仕様なので他の端末だと全然まだだったらごめんなさい。
では、本題に入ります。
4日前に祖母が亡くなりました。狂いそうなくらい悲しいときと、現実味がなくてただの日常だと感じるときが交互にやって来ます。今は後者なのでこうして割と冷静に文章が書けています。
こんなときに何か記して、ましてやそれを公開するなんてどうなのかなあと思いましたが、気持ちを整理できたら、そして差し出がましいですが、これを読んでくれた人が少しでも何か感じてくれたら、と思って書くことにしました。
わたしは小さい頃、大のおばあちゃん子で、祖母とは父や母よりたくさん遊びました。たくさん貯めたお小遣いで祖母に豪華なお誕生日プレゼントをあげて、その喜ぶ顔を見るのが何よりも嬉しかったことを覚えています。
祖母はわたしのことを恥ずかしくなるくらい褒めてくれて、外でもわたしの自慢をしてくれて、わたしのすることは何でも肯定してくれました。
もし他にそんな人がいたら、何か裏があるんじゃないかと思ってしまいますが、祖母の言葉だけは素直に信じられました。自分が愛されているということに何の疑いも持ちませんでした。
そしてすごく穏やかな人で、怒っているところを殆ど見たことがありません。
祖母はわたしの母、祖母にとっての嫁にもすごく寛容で優しくて、その2人の関係はすごく理想でした。
たまーに医者への文句を言ったりしていましたが、周囲の人への小言は聞いたことがありませんでした。
きっと、皆さんの中にある「昭和の優しいお母さん」像が祖母に近いと思います。
今だから思い出が美化されているわけではなく、本当にそんな人で、わたしは祖母の嫌いなところなんて1つもありませんでした。
小学生頃までは毎日祖母の家に行って遊んでいたのに、中学、高校と学校や部活で忙しく、会うことが徐々に少なくなりました。
そして大学で上京してしまったので、会えるのは年に3〜4回といったところでした。
3日前、母から電話で訃報を聞いて、一瞬理解ができませんでした。
祖母は大きな病気もしていなくて、何なら亡くなった当日も友達の家に行っていたくらい元気だったんです。
お正月に帰省をして東京に戻るとき、「じゃあ帰るね〜」と挨拶をしたことが最後の別れになるとは夢にも思いませんでした。当たり前にまた会えると思っていたんですよね。
そんなことを思っても祖母は喜ばないと思いますが、「前帰ったときにもう少したくさん話ができたんじゃないか」「もっと感謝の気持ちを伝えれば良かった」と後悔が募ってしまいます。
何万回も使い古された台詞ですが、人間は明日生きている保証はないということを体感してしまいました。家族も友達も、また会えるとは言い切れないんです。
だから皆さん周りの人に日頃から感謝を伝えましょう。なんてことを言うつもりはありません。家族や友達とはまた会えるという根拠のない安心感が、日常の穏やかさを生み出していることも確かだと思うからです。
それに、そういった反省に昇華できるまで、まだ受け止め切れてはいません。
でも、好きな人達を、そして自分を大切にしなきゃいけないと強く思いました。
そんなところです。長くなっちゃったし、楽しいものでもなかったと思います。でも今回はこれでいいです。
自立したところを見せたかった。もう遅いけど、立派な大人になります。寂しいです。