久しすぎる
ご機嫌よう。
気付いたら前の投稿から1年以上経っていました。
この1年間に何があったかというと、個人的には大学を卒業して社会人になり、引っ越しをしまして、基本ステータスが結構変わりました。
社会人生活はというとまあまあ順調です。というか担当案件の上司がほんっとに良い人ばかりでラッキー☆という感じです。でも会社のことをSNSに載せるのは良くないと教わって、きっちりそれに怯えているのでもうこれ以上は書きません。
世界の変化としては、コロナの流行ですね。今更すぎる感じがしますが、去年の2月のわたしはコロナのコの字を知っているかどうかくらいだったんですね〜。でもこの1年間で外出時にはマスクを着けることも、レジの列には間隔を空けて並ぶことも無意識的にできるようになりました。そんなことを言ってる場合ではないのですが、人間の適応能力にはいつも脱帽です。
1年以上ぶりに筆を執る(というほど大それたことではないですが)とこにしたのにはどうしても発信したいことがあった、ということでは全くなく、ただの思い付きです。というか思い出しです。
ここ最近はというと、映画を観て、漫画を読んで、海外ドラマを観て、本を読んで、ちょっと服を作って、たまにお菓子を焼いて、と完全にインドアを満喫しています。
全く意識的ではないですが、幼き頃からあまり自分のことを多く語るタイプではないので「休みの日とか何してるの?」と結構頻繁に聞かれます。でもそう聞かれると、何だかちょっと寂しくなってしまう自分がいます。そんな意図はないと思いますが、「何にもしてない人と思われてるのかな…」と思ってしまうからです。なので、2021年度の目標は「休みの日に何をしているか聞かれないくらい自分のことを話す」にします。
ということで、最近感動したものベスト3(唐突)
① 『キングダム』
超ーーーーーーーーーーおもしろい!!!!!! ここ最近の生活の50時間くらいを費やして読破し、連載まで追っています。60巻まで出てますが、本当に全っ然中弛みしない。すごすぎ。なんとわたしは秦の始皇帝が中華を統一することを知らずに読み始めましたが、そのネタバレを知っていてももちろん楽しめます。ちなみに推しは王翦です。
②『スプーンと元素周期表』
これは本です。でしょうね。わたしの中にはこういった類の本を形容する語彙がないのですが、裏表紙には「ポピュラー・サイエンス」と書いてありました。よく分かりませんが要するに科学系の本です。元素周期表がどうしてあの並びになっているのか、各元素はどのようなもので元素間にはどのような関係があるのか、どうしてあの科学者とあの科学者は仲が悪いのか、といった思いっきりサイエンスなことから科学に関するゴシップまで元素周期表に関することはとにかく何でも書いてあります。科学はロマン。
③矢作とアイクの英会話
おぎやはぎの矢作と超新塾のアイクぬわらがやっている英会話のYouTubeチャンネルです。高度な内容はほとんどありませんが、痒いところに手が届く系。「文法的に正しいことはわかってるけど、結局ネイティブの人はどう使ってんの!?」という疑問にめちゃくちゃ分かりやすく答えてくれています。そしてタメになりつつもやっぱり流石、会話がおもしろい。おもしろ勉強で一石二鳥です。
以上が最近の感動したものベスト3でした。
ブログをどうやって締めていたか忘れましたが、過去の投稿を見返すのは面倒なのできっちり挨拶だけします。
おやすみなさい。
無題にしようと思う
やあ、みんな。もう2月だね(中旬)。
今日はちょっと重い話かもしれません。最近すごく悲しいこととか辛いことがあった人は読まない方がいいかもしれないです。わかんないけど。
と、いうことなので、まだ本題が見えないように3文字しりとりをしておこうと思います。
りんご
ゴリラ
ラッパ
パンツ (← もうここまで定型だよね?)
つみき
きつね
ね...?
「ね」なんてなくない...?
ねずみ (全然あった)
みみず
ず...?
今度こそなくない....?
ずこう (天才)
うなぎ
ぎたい
いくら
らすく
くるみ
みかん
もう大丈夫だと思って終わらせましたが、iPhone7仕様なので他の端末だと全然まだだったらごめんなさい。
では、本題に入ります。
4日前に祖母が亡くなりました。狂いそうなくらい悲しいときと、現実味がなくてただの日常だと感じるときが交互にやって来ます。今は後者なのでこうして割と冷静に文章が書けています。
こんなときに何か記して、ましてやそれを公開するなんてどうなのかなあと思いましたが、気持ちを整理できたら、そして差し出がましいですが、これを読んでくれた人が少しでも何か感じてくれたら、と思って書くことにしました。
わたしは小さい頃、大のおばあちゃん子で、祖母とは父や母よりたくさん遊びました。たくさん貯めたお小遣いで祖母に豪華なお誕生日プレゼントをあげて、その喜ぶ顔を見るのが何よりも嬉しかったことを覚えています。
祖母はわたしのことを恥ずかしくなるくらい褒めてくれて、外でもわたしの自慢をしてくれて、わたしのすることは何でも肯定してくれました。
もし他にそんな人がいたら、何か裏があるんじゃないかと思ってしまいますが、祖母の言葉だけは素直に信じられました。自分が愛されているということに何の疑いも持ちませんでした。
そしてすごく穏やかな人で、怒っているところを殆ど見たことがありません。
祖母はわたしの母、祖母にとっての嫁にもすごく寛容で優しくて、その2人の関係はすごく理想でした。
たまーに医者への文句を言ったりしていましたが、周囲の人への小言は聞いたことがありませんでした。
きっと、皆さんの中にある「昭和の優しいお母さん」像が祖母に近いと思います。
今だから思い出が美化されているわけではなく、本当にそんな人で、わたしは祖母の嫌いなところなんて1つもありませんでした。
小学生頃までは毎日祖母の家に行って遊んでいたのに、中学、高校と学校や部活で忙しく、会うことが徐々に少なくなりました。
そして大学で上京してしまったので、会えるのは年に3〜4回といったところでした。
3日前、母から電話で訃報を聞いて、一瞬理解ができませんでした。
祖母は大きな病気もしていなくて、何なら亡くなった当日も友達の家に行っていたくらい元気だったんです。
お正月に帰省をして東京に戻るとき、「じゃあ帰るね〜」と挨拶をしたことが最後の別れになるとは夢にも思いませんでした。当たり前にまた会えると思っていたんですよね。
そんなことを思っても祖母は喜ばないと思いますが、「前帰ったときにもう少したくさん話ができたんじゃないか」「もっと感謝の気持ちを伝えれば良かった」と後悔が募ってしまいます。
何万回も使い古された台詞ですが、人間は明日生きている保証はないということを体感してしまいました。家族も友達も、また会えるとは言い切れないんです。
だから皆さん周りの人に日頃から感謝を伝えましょう。なんてことを言うつもりはありません。家族や友達とはまた会えるという根拠のない安心感が、日常の穏やかさを生み出していることも確かだと思うからです。
それに、そういった反省に昇華できるまで、まだ受け止め切れてはいません。
でも、好きな人達を、そして自分を大切にしなきゃいけないと強く思いました。
そんなところです。長くなっちゃったし、楽しいものでもなかったと思います。でも今回はこれでいいです。
自立したところを見せたかった。もう遅いけど、立派な大人になります。寂しいです。
存在を忘れていた
明けましておめでとうございます。
この場で「よいお年を」を言わずに年が明けてしまいました。なんなら12月は1回も更新していませんでした。
その理由は他でもない。ただただ忘れていたからですね。ホーム画面の1番よく見るところにアプリを置いていたのに、ただの背景と化していました。
始めたばかりのころは毎日ブログを書くことが楽しみだったのに。人間なんてそんなもんです。慣れてしまうと大切なものの大切さを忘れます。
今年?去年?は初めて友達と年越しパーティーをしました。わたしの名前でエアビーを借りたので、静かにしなきゃと思っていたのですが、酔いと楽しさで途中からどうでもよくなって全力で歌を歌っていました。怒られませんでした。2020年、幸先がいいですね。
年が明けてからは何日か実家に帰っていました。特に何をしたわけではありません。
「でもやっぱり実家は落ち着くね〜」と言いたいところなんですが、わたしが実家を出てから飼い始めた猫がいるために、猫アレルギー気味のわたしは永遠にくしゃみをしていました。でも猫はめちゃくちゃ可愛いです。
実家に帰ると、家を出る前より両親がとても優しいのを感じます。それが愛情の表れだということはもちろん分かるし、きっとわたしが逆の立場でもそうするだろうなと思います。
でも、なんだかそれをすごく寂しく感じてしまうのです。「わたしは親に甘やかされるくらい遠い存在になっちゃったのかなあ」という風に感じちゃうんですね。ううう。
日付け変わって明日は、卒論の提出日です。といってもわたしの場合は1月いっぱい加筆修正をするので、あんまり大詰め感はないです。でも絶対に提出時間に起きなきゃというプレッシャーがやばいです。なんで紙で提出しなきゃいけないんだろう。その謎を解くため、わたしはアマゾンの奥地に足を踏み入れました...。
長いブランクがあったために、ブログの書き方がよく分からなくなってしまいました。まあ正解なんてないのです。人生と同じで。
深そうなことを言えば締まるかと思ったんですが、全然締まらないので今年の目標を掲げます。
『SNSでの大袈裟な表現に踊らされない』です。
おやすみなさい。
眠れません
近所のおばあちゃんなら起きるくらいの時間になってしまいました。なぜだか目が冴えてて寝られません。
寝られないのは悩み事があるからでも、心配事があるからでもありません。
昼過ぎまで寝ていたことに加えて、お腹が空いているからです。
メンタルとしては割とハッピーめです。深夜テンションかもしれませんが。
なんだか今日の夜は、本格的に冬が始まったように感じました。昨日までも寒かったですが、今日の寒さは質が違った。刺さる寒さでした。
それもそのはず、もうすぐ11月が終わるんですね。ひゃ〜〜〜。
学問も遊びも、やるべきことが理想の半分くらいしかできてません。なんなら12月に駆け込む気もあんまりありません。
わたしは12月の雰囲気が何にも変えられないくらい大好きです。
クリスマスやら年末やらで街の空気が浮き足立っていて、でもまだ年内にやり残したことを各々が抱えて少し慌てているような。そんな日常の中の非日常感が素敵だなあと思います。
年越しは何しようかなあ。去年は実家に帰っていた気がします。うちの家族はみんな早寝なので、実家で年を越すときはいつも1人です。
一昨年は確か二年参りをしようとしてました。でも、ゆく年くる年を家で観た記憶があるので、きっと失敗しています。
あと1ヶ月、今回こそ年越しを楽しむ術を考えます。
段々と空が白んできました。こんなに寝られないなら映画でも観たらよかったな。
そういえば少し前に、「Aurora」というフィンランド映画を観ました。
ロマンスコメディだったんですが、ストーリーも登場人物もとっても魅力的、かつコメディとしてもちゃんと面白いというとても良い映画でした。
この映画は、1つの小さな映画館で数日しかやっていませんでした。もしかしたら今後、DVDやストリーミングでも観られないかもしれません。本質的ではないですが、なんだかそんな希少性にも価値を感じてしまいました。
思い付いたらすぐに何千何万種類もの映画を観られる環境にいて、1度しか観られない映画に出会うことはきっとほとんどありません。
すごく便利で快適な環境ですが、なんだか寂しくも感じます。
わたしたちにとっての映画は、ニューシネマパラダイスの中の映画とは全く違う立ち位置にいます。そりゃそうだという感じではあるんですが、わたしはあの、街の一大イベントとしての映画鑑賞を味わえないことにすごく切なさを感じます。
おっ、ちょっと眠いかも。この眠気を逃さずキャッチすべく、泣く泣くここで終わりにします。決して書くことがなくなったわけではありません。では、おやすみなさい。
もうすぐ学生が終わる
存在を忘れかけていました。危ない危ない。
最近はというと、特に変わったことはしていません。学校に行き、卒論の研究をし、お酒を飲んでいました。
三田祭が始まったらしいです。あんまりわたしには関係ないんですが、やっぱり学生生活最後の三田祭となると、なんとなくちょっと感慨深いですね。
三田祭には結構たくさん思い出があります。楽しいことも大変なこともいっぱいあったなあ。
うわ、なんかすごく悲しくなってきました。なんなら現役代じゃないことがもう既に悲しいです。
大学生活で後悔していることの1つに、もっと色々な人付き合いをしておけば良かったな、というものがあります。
入学した頃のわたしは今よりだいぶ閉鎖的な人間だったので、友達なんて両手に収まるくらいでいいと本気で思っていました。なのでクラスにも専攻にもあまり友達がいません。
でも今、齢23のわたくし、めちゃくちゃ友達ほしい。
友達が増えると自由が拘束されると思い込んでいたんですよね。でも何かに誘われても行く行かないは自由だし、母数が多いことに何の問題もなかったんです。そんなことに今さら気付きました。
でも今から友達を増やすってなかなか難しいなと感じています。社会人になったら増えるのかなあ。そんなこんなで知らない人と友達になれる場があったら是非誘ってください。(他力本願)
友達について書いていたら懐かしいことを思い出しました。
小学3年生くらいの頃、わたしにはすごく仲の良い友達が2人いました。その2人は姉妹で、妹は同い年、お姉ちゃんは2つ上でした。
火曜・木曜・金曜・土曜は塾やら習い事やらで遊べなかったのですが(今より全然多忙です)、それ以外の日はほとんどその2人と遊んでいました。
ある日、うちで3人でトランプかUNOをしていました。わたしは姑息な小学生だったのでその時にちょっとズルをしてしまったんです。そうしたらお姉ちゃんの方に「今ズルしたでしょ!」と言われました。
わたしはそう言われて、図星だったのと不甲斐なさで「絶対してない!!!」とすごく強く言い返してしまいました。そのまま喧嘩になり、そのお姉ちゃんとはほぼ絶交のような感じになってしまったんです。
その後、確か1,2ヶ月経ち、妹の方に「これあげる」と手紙を渡されました。その中には、お姉ちゃんからの仲直りしようという手紙と、チューリップのアップリケ付きの手作りの小さな緑色のポーチが入っていました。手紙の文面も、そこに描いてあった絵も、ポーチのステッチも、まだはっきり思い出せます。
今のわたしならそんなことをしてもらったら、号泣してすぐに電話をかけます。
でも生憎of生憎、その頃のわたしは全く素直じゃありませんでした。心の中ではとっても嬉しかったんですが、なぜか「こんなことじゃ心を動かされない自分」を演じてしまって、返事をしませんでした。
そのお姉ちゃんとはそれっきりもう会っていません。妹の方とも徐々に疎遠になって、今は連絡先も知りません。
もしかしたら、この時仲直りをしなかったことが人生で最も後悔していることかもしれません。
見つからないかなと思ってFacebookで検索してみましたが、引っかかりませんでした。
もう一生会えないのかなあ、あの時ごめんねって言えないのかなあ.....。悲しい....。
この経験があるから、わたしは誰とも喧嘩をしたくないし、あんまり怒らないのかな、と書きながら思いました。
なんだか今日は精神分析的な(精神分析を舐めるな)後悔のブログになってしまいました。暗いですね。明日からは明るく生きます。
こんな時は寝るに限ります。割と頻繁に悪夢を見るんですが、最近は特にひどいです。今日は楽しい夢だといいなあ。
ふぐが食べたい
早寝早起きをしたいと思っている今日この頃、矛盾した時間の更新です。
昨日はすごく調子良くお酒が飲めました。全然気持ち悪くもないし、眠くもない。なんだかお酒が強くなったみたい...!!
と思っていましたが、カラオケで何を歌ったのか全然思い出せません。なんならその後の記憶も寝るまで曖昧でした。
そうなった原因として考えられるのが、最近話題の「鬼レモン」です。
あれはやばい。9%なのに味はただのおいしいレモンサワー。はい、もう終わりの始まりです。解散。
という感じでした。有望です。
日々考えたことを記す日記という体で始めましたが、最近ただの酒呑みの記録になっている気がします。
まあ常にそんな感じの生活なので、強ち日記という趣旨からは外れてないかもしれません。
そういえば最近たまーに、「ブログ見てるよ!」と言ってもらえることがあります。なんだか嬉し恥ずかしい感じがします。
ハッピーなことですが、年々、褒め言葉をそのまま受け止められるようになってきている気がします。
偏屈な幼少期を過ごしてきたので、昔は褒め言葉を全てお世辞か嫌味だと思っていました。
どうしてそれが変わってきたのかは分かりませんが、最近は褒められるとただただ「やったー!」となります。
でもお世辞をお世辞として受け止められなくなってきているということでもあるので、皆さんわたしにはお世辞を言わないでください。それか「これはお世辞なんだけど〜」と言ってください。お姉さんとのお約束です。
もうちょっと文化的なものに触れて感性を刺激されたら、もっと内容のあることを書きます。
今はふぐが食べたいという感情で脳の容量の8割を使ってしまっています。
お腹がペコペコです。でも年内に腹筋を割ると決めたのでこのまま寝ます。おやすみなさい。
ここからが本番
お察しの通り、自分の中でのブログブームが去りました。ので、この更新頻度です。
でもブームが去ってからこそ、本当のムーブメントが始まります。
一昨日からわたしはとても元気&ハッピーです。
それはなぜかと言うと、ルビースパークという映画を観たからなんですね。
ストーリー自体もすごく素敵で好きだったんですが、わたしが惹かれたのはヒロイン、ルビーの姿でした。
自分の心に素直に生きていて、天真爛漫でそれでいて触れたら引き込まれそうな影を感じる女の子。
もうわたしの在りたい憧れの姿そのままで。
自分のことを影があるとは全く思いませんが、天真爛漫さはそれを実現できるものを内に秘めてるんじゃないかと我ながら少し思いまして。
それで、最近は人の目を気にしすぎてその天真爛漫さを抑圧しているなあと感じたんです。
そして、ルビーみたいにもっと自由に生きようって思いました。
元気な理由はそれです。心が潤っている気がします。
なんだか今日は文章が下手なように思えます。
日本が好きかと聞かれたら、なんかどっちでもないなという感じですが、日本語はすごく好きです。
英語とちょっとドイツ語以外に全然他の言語を知りませんが、日本語はすごく繊細で綺麗だと思います。
だから自分も美しい言葉を使える人間になりたいんだなあ。みつを。
目がシパシパするので寝ます。おやすみなさい。